1992年秀明高校

1992年の夏に甲子園出場を果たした秀明高校。この甲子園出場は埼玉高校野球史に残るまさかの甲子園出場だった。
まず、秀明高校は1985年の選抜にて甲子園出場を果たすなど、後に本庄一でも甲子園出場へ導く当時の須長三郎監督の下、野球部強化をしていた実力者揃いのチームでした。
しかし、その後の進学校へのシフトチェンジした事により、野球部の強化も打ち切り。練習時間も限られ、1992年当時の部員数も3学年合わせて20名ほど。大会ではノーシード。甲子園出場はもちろん、上位進出すら期待されず、大会前の目標はあくまで初戦突破といった具合だった。
しかし、初戦でシード校の大井高校にいきなり逆転勝ちを収めると、なんと決勝戦も含め7試合全ての逆転勝ちで甲子園出場を掴んだ。
全く期待されてないチームが起こした奇跡の戦いぶりに、当時「ミラクル秀明」と称され、今もなお、当時からの高校野球ファンの間で語り草となっている。

1998年滑川高校

夏の選手権大会80回を記念記念して、東西で別れ2校が甲子園出場ができた1998年。
浦和学院、春日部共栄、埼玉栄、大宮東といった有力校が東埼玉に偏った分、西埼玉はどちらかというと絶対的本命不在の混戦模様が予想され、初出場も出るかもしれない戦前予想だった。そして西埼玉で勝ち上がった高校はこそが、それこそ誰も予想し得なかったノーシード校の滑川高校。当時の夏の最高成績は3回戦で、選手たちも本気で甲子園出場を目指してなくまさに無欲で掴んだ甲子園出場だった。
そんな滑川高校、甲子園でも富山商業、鳥取代表の境高校を破り、見事2勝を挙げ、甲子園に旋風を巻き起こした。
特に背番号2をつけた正捕手が、最終回マスクを脱ぎ、トルネード投法から繰り出す豪速球で抑えの役割を果たしたのが話題となった。
そしてその時の抑え投手こそ、後に阪神で強力リリーフ陣JFKを担った久保田智之だった。

2015年白岡高校

記憶にも新しい2015年夏、奇跡的な勝ち上がりを見せ、決勝進出を果たした公立校が埼玉のみならず、全国の高校野球ファンにも注目が注がれた。
それが白岡高校だった。
白岡高校のこの年のチームは秋も春も地区予選の初戦敗退。
つまり大会未勝利のノーシード校として夏を迎えた。
そんなチームが初戦突破し、この年の公式戦初勝利を収めると、3回戦ではBシードの成徳大深谷に勝利。夏の過去最高成績4回戦も突破。更に準々決勝でも強豪・埼玉栄にも打ち勝ちあれよあれよと奇跡的な勝ち上がりを見せた。
そして迎えた準決勝は、センバツベスト4の優勝候補・浦和学院。
当然、戦前の予想では圧倒的浦和学院優位と言われていたが、白岡の谷中投手の落差のあるスライダーを武器に浦学打線は翻弄され1失点でシャットアウト。
4-1で浦和学院を下し、埼玉高校野球史に残るジャイアントキリングを起こした。
決勝戦では花咲徳栄に2-5で敗れ、甲子園出場まではいかなかったものの、今後の埼玉高校野球史に語り継がれる印象的なチームだった。

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