はじめに

プロ野球に限らず、背番号はただのユニホームの番号だけではなく、選手そのものを表す数字となっていますね。
世界の本塁打王の、王貞治と言えば「1」
ミスタージャイアンツの長嶋茂雄と言えば「3」など、
その人を表す背番号。
そしてその背番号で、1994〜福岡ダイエー時代から、福岡ソフトバンクホークスに変わるまでの、歴代背番号1を紹介いたします!

秋山幸二

黄金時代の西武ライオンズから弱小球団だった福岡ダイエーホークスに移籍してきた秋山は、移籍当初ダイエーの選手たちに「勝ちたい」という意識が薄いことに愕然としたという。当時のダイエーの選手たちは怠惰で常勝西武の控え室を知っている秋山にとって、彼らの態度は信じ難いものだったという
秋山の背中を見て小久保裕紀が育ち、さらに後を追うように松中信彦、城島健司、斉藤和巳、井口資仁、川崎宗則など後の強豪ホークスを支える選手たちが育ち、現在の若手選手は彼らを手本として練習に励んでいた。

柴原洋

2004年、秋山幸二(2002年に引退)の永久欠番となる予定であった背番号を1を受け継ぎ、後継者として期待されたが、故障などもあり99試合の出場に終わった。この年から腰痛に悩まされ、不振が続くこととなった。その裏で本拠地・福岡ドームでは福岡銀行賞の記念すべき第1号となった。
2005年、開幕戦で7回裏にカルロス・ミラバルから逆転決勝3ランを放ち、これが福岡ソフトバンクホークス第1号本塁打となった。

内川聖一

2011年オフに背番号をこの年限りで現役引退した柴原洋の「1」へ変更。
2016年シーズン終了時での通算本塁打数は164本であり、通算200本塁打まで残り36本である。 また、通算安打数は1896本であり、通算2000本安打まで残り104本である。

NPBにおける、右打者史上最高打率記録保持者 (.378) 、史上2人目の両リーグでの首位打者獲得者、史上3位タイ(右打者としては落合博満とならび1位タイ)の7年連続打率3割達成者。

最後に

背番号1と言うとチーム、球団の顔ですね!他球団も背番号1は実績があり、人気の選手が付けていますね。
毎年選手が入れ替わるプロ野球界で背番号もいろいろ入れ替わりますね。野球を知らない方でも、そういうところに注目してみてはいかがでしょうか!

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